「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4‐23
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
彼は認めた:
”私がそのような事をしたのは、無知からです。
私は一日中、田圃で仕事をしましたが、主人は決して、草場に連れて行って、草を食べさせては、くれませんでした。
私はお腹がすいて、見つけたものは、何でも食べました。
私に言わせれば、すべての植物はみな同じに見えて、所有者がいるかどうか、私には分かりません。
私は、ものを盗もうとは思った事はなく、私に人間の言葉が分かったならば、過ちは犯さなかったでしょう。
人は、動物より聡明なのですから、彼らこそ、我々の本性を理解して、我々に、更に憐憫をかけ、我々を許すべきです。
己の能力に恃み、その他の生命を無情に蹂躙する事、特に人の道徳に悖るようなやり方は、許されません。
善人は、このような恥知らずな、罪深い行いは、決してしません。
あなたが言うように、この付近の農夫のほとんどは、善良であるでしょう。
しかし、私のあの主人老通(=ロートン)は、残虐で品格のない人間です。あの人はそれほど無情で、はなから、憐憫とは何かも知らないし、寛容とは何かも、知らないのです。
彼は他人にも冷たく、なにより、動物なんかには、配慮などしないのです。”
この悲惨に屠殺された水牛の話を聞いて、メーチ・ケーウの表情が変わった。
小さい頃から大人になるまで、メーチ・ケーウは畜生の悲惨な運命を、憐憫した。
彼女は以前、毎日、黄牛と水牛に餌をやる時、もち米を一握り食べさせてあげ、彼らの耳元で囁いた:
あなた達は田圃で仕事をするけれど、当然、ご飯をお腹いっぱい食べていいのよ。
動物はこのように可愛がられて、彼女と非常に親しくなった。
たとえば、首に鈴をつける為の紐が切れた時、牛は、直接彼女の所へやってきてそれを知らせ、決して、これを奇貨として、逃げてしまう、などという事はなかった。
今、メーチ・ケーウは理解した。
これらの動物は、たとえ飼い主によって、よりよく待遇されたとしても、過去の業力によって、一生涯、苦労せざるを得ない事を。
(4-24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>