「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-30
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
次の日の朝、メーチ・ケーウは、大殿において、他の出家者と一緒の時に、声を低めて、今回の、考えられない程不思議な出来事を、話して聞かせた。
彼女は情景を詳細に述べて、皆が、全体の状況を理解し、もし、本当に、あの猟師が猪の肉を持って来たならば、彼らが慈悲の心でもって、猪の布施を受け取れるように、配慮した。
彼女は、お寺の住人全員に、幾らかずつでも猪の肉を食べてあげて欲しい、その事によって、彼の布施への発心を尊重してあげられるし、かつ、そのようにする事によって、彼が人道に往生できるよう、支援してあげる事もできるのだからと、頭を下げた。
果たして、予想に違わず、その少し後に、猟師阿黒の妻が、寺院にやって来た。
彼女は、猪肉の焼いたのを持ってきて、アチャン・カンパンと僧侶たちに、恭しく供養した。
彼らは、彼女に、この猪の肉は、どのようにして手に入れたのかと聞いた所、彼女の申し述べる所の事は、すべて、メーチ・ケーウの説明と、一致した。
すべての出家者は、この供養を受け取り、彼らの慈悲による行為が、多少とも、この可哀そうな命の苦痛を、和らげられるようにと、願った。
メーチ・ケーウは、渇愛が、死と再生を繋ぎ、生命をば、一連の、止まる所を知らない、憂いと悲しみと、苦悩の中に、引きこむのを見た。
彼女は、非常に多くの人々が、貪欲に捻じ曲げられ、憎悪に追い立てられる光景に、遭遇した。
彼らは、茫々たる無明の大海の中で、頼れる者もなく、定かな目標もなく、ただ漂いながら、過去に為した深重なる業力に巻き込まれて、下方に沈んでいくばかりであった。
悪道にある神識は、福徳の資糧を最も必要としていながら、これらの餓鬼は、過去世において人道にあった時、無私の心で布施をする習慣がなく、道徳による庇護の力を、見落とした。
人身を得た時に、福徳の資糧を蓄積しないならば、死後、神識が暗黒の悪道に堕ちた時、もはや再び、徳を積むことはできない。
これら孤独な魂や野卑なる魂は、己自身の内に頼りにできる福徳がなく、他人による救済を待つ他なかった。
もし、人道にいる善人が、身口意の三業の功徳を、彼らに回向する事を発心しなければ、これらの餓鬼は、極度な貧困と窮乏の中に生きて、善道へ向かう方法が全くなく、ただ、引き続き、悪業による悲惨な応報を受けるしかなく、過去に行った悪事または一時的になした悪の果報が消耗しつくされるまで、待たねばならなかった。
メーチ・ケーウは、餓鬼は、流浪している動物のようで、貧困と恐怖の環境の中で漂泊しており、心霊の力が尽きる事によって当惑し、気遣いをしてくれる主人がいない、と思った。
これらの悪業の果報に落ち込んだ衆生は、どの道に生まれようとも、皆同じであった。
というのも、彼らの苦痛と悲惨は、止まることを知らないものであったから。
(4-31につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>