Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-33

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

偶には、亡霊の頭目が、メーチ・ケーウを連れて、彼の地盤を参観させ、彼女に、色々な亡霊の生活内容を、説明することもあった。

亡霊の世界にも、ならず者はいて、これら問題を起すならず者は、一か所に集めて生活させる。

人類が ”牢獄” と言っている、場所である。

亡霊の頭目は、牢獄にいるならず者は、陰険で下品で、過剰に他の亡霊に干渉するので、彼らの罪行の内容に沿って、懲罰を受けているのだ、と言った。

その頭目は、”亡霊”という言葉は、人類が命名したもので、彼らはただ、宇宙にいる色々な有情の中の一種に過ぎず、彼ら自身の業報に基づいて存在している意識的生命体であり、その事について誤解せぬよう、メーチ・ケーウに注意を促した。

メーチ・ケーウは禅定の体験を通して、多種多様のレベルの世界を体験したが、ある時には、彼女の神識は身体を離れ、天界または異なるレベルの梵天界に漫遊した。

天界の心識は、また別の業力の法則によって支配された衆生で、彼女は各種の天人に出会ったが、これらの密やかで妙なる有情は、過去の善業の果報が熟した為、楽しい、幸福な環境の中で生活しており、高度なレベルの天界に生きれば生きる程、彼らは益々、密やかで妙なるものになった。

彼女は、地居天にも会ったことがある。

これら発光する天人は、その土地と深い因縁があるため、そこの地に生まれ、森や果樹園、木の上などに住んでいた。

人間の肉眼では見えないのだが、メーチ・ケーウの天眼は、天人をはっきりと捉える事ができた。

彼女は、天道にいるのは知足の衆生で、彼れらは幸せに暮らしており、いつも感官の悦楽を享受しているが、これは、彼らが過去世において、人であった時に布施、持戒と禅定の修行をして、蓄積した福報である、と思った。

これらの善業が、彼らをして、天に生まれさせ、快適で麗しい生活の中で、色々な欲楽を享受せしめているのであった。

(4-34につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>