<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
前の四つの戒ーー殺盗淫妄の禁止ーーは、仏教における出家生活の根本的道徳を言い、その他の戒は、修行における原則であり、それは、心身の清浄の助縁となり、四つの基本的戒を展開したものである。
もし、メーチが、四つの基本的戒の精神に基づいて戒清浄を保つならば、その他の戒もまた、容易に守ることができる。
また、もし、厳重な罪行に属する、この四つの戒に違反するという事は、すなわち:
解脱を追求しながら、その他の生命を傷つけるのは、瞋恚と無知に誤って導かれたものである;
許可を得ていないのに盗る行為は、共に梵行を修行している、道友の相互の信頼関係を破壊するもので、また、誠心誠意、出家者に供養をしてくれる信徒たちを、裏切るものである;
不淫の戒を犯す事は、仏教の出家の定義である所の、世俗の家庭生活を出離するーーを破るものである。また、これ以外に、淫行の禁止は、己のエネルギーを、心霊を向上・進歩に向かわせる、支えとなる;
妄語または綺語は、出家衆の内部、及び僧と信者間の、相互的信頼関係を、破壊する;
そして、最も重要なのは、破戒は、己自身の心を、傷つける事である。
真正の戒行の本質は、精緻で微妙で複雑であるーーそれは非常に複雑で、ただ単に、戒の項目と規則だけを守る事で、到達できるものではない。
底を割って言えば、戒行は、外部の規則を守る事によって境界線を引くような事柄ではなく、それは、心内の純粋な動機によって展開され、顕現されるものである。
仏法修行の主要な目的は、心の中の不善な動機を滅し去ることで、故に、貪・瞋・痴を根こそぎ取り除く修行に成功した時にのみ、真正の善を実践することができる。
戒の修行は、重要で不可欠な<一杯>であるが、しかし、戒を定に導き向かわせない限り、ただ戒を守るだけでは、目標に到達する事は、できない。
誠心誠意、善なる動機を育成すれば、心は軽々と、静けさと清らかさ、明晰さを得ることができる。
故に、浄戒を厳重に受け保つ事によって初めて、メーチの心に純潔、清らかで率直な喜悦を、齎す事ができるのである。
(4-51につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
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