<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
山道を辿る高山は、人がほとんど住んでおらず、供養を受けることが難しいので、彼女たちは食糧を携帯したが、高山の区域を過ぎる頃には、食物は食べ尽くし、その後は、当地の村民の布施に頼った。
これらの小さな農村は、それぞれの地方にバラバラに存在していて、お互いが遠く離れていたので、一つの村から一つの村へ行くのに、山道をほぼ一日歩かねばならなかった。
贅沢にならないように、重くなり過ぎないようにと考えて、彼女たちは少しばかりの食糧を持って出掛けた:
生米は竹の容器に、調味料の辛い魚醤は缶に入れて蜜蝋で封をした。その他には、干し肉と干し魚を持ち、道々、山菜を摘んだ。
メーチ・ケーウが引率して、一行は、徒歩で卉晒道場を出発した。
食べ物以外に、皆はリックになにがしかの必需品を背負い、遊行用の傘も持った。これは夜寝る時に、自分を守るために使う。
彼女たちは、山の鋭い石で、足を怪我しないように、手作りの草履を履き、頭には綿の布を乗せて、帽子の代わりにした。
最初の日、夜遅く、彼女たちは磐山の麓に着いた。
この森林には、熊、虎と蛇が多く出没したが、いくつかの隔絶された開墾地に、人の住んだ跡があるだけで、天候は悪劣で、ころころ変わった。
ただ、山の風景は非常に美しく、緑は濃く、竹と紫檀が生えて、地上は、青草、羊歯と野の花で埋まり、どこもかしこも灌木と大木があった。
遠くから見ると、山道は木々の頂部に密集して生えた木の葉と、巻きついた藤に覆われ、近くで見るのは、すべて雑草と樹林であった。
山の中腹には、凸凹した大きな黒岩石が地面から露出し、それが遠くまで伸びていて、山道は岩石に沿ってくねくねと曲り、時には行き止まりになり、時には大きな亀裂が口を開けていて、経験のない者がここに来れば、必ず道に迷った。
(4-55につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>