南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-61

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

朝の曙光を見ると、彼女はすばやく心身を摂し、寒風の中を、仏殿まで行って、皆に会った。

彼女は話し始めると、目から、涙が零れた。

涙は、一粒一粒、アチャン・マンが最後に示した事績ーー彼の姿、彼の警告、彼の教え、彼の逝去ーーと共に、頬を流れ落ちた。

皆は、メーチ・ケーウの予知能力を深く信じていて、これまで疑った事がなかったが、この訃報だけは、受け入れがたかった。

メーチ・ケーウが話し終わると、皆は集まって、一塊になった。

この時、村長が突然やってきて、仏殿の階段に飛び乗り、一気に訊ねた:

”メーチ!メーチ!

あなた方は、知っていますか?

何か聞いていませんか?”

彼は深く息を吸うと、ゆっくりと吐き、声を低めて言った:

”昨夜、アチャン・マンが、サコンナコンで、入滅された。私はさっき、何分か前、ラジオでそれを聞いたのだ。彼らが言うには、朝の2時半に、逝去されたそうだ”

皆はそれを聞くと、耐えきれずに、声を放って泣いた。

村長はそれを見て、狼狽え:

”すまない・・・。

私はただ、情報を持って来ただけで・・・。”

と言った。

アチャン・マンは、1949年11月10日に、逝去した。

その二日前、メーチ・ケーウは、48歳の誕生日を迎えたばかりだった。

葬礼は、1月の末に行われる事になり、その前に、メーチ・ケーウは、一度サコンナコンに行って、喪に服した。

彼女は、アチャン・マンの棺の前に跪いた。

アチャン・マンの棺は木製で、蓋は、ガラスで出来ていた。

彼女は、冷たくなった遺体を見つめ続け、後悔が止まなかった。

彼女は己の過失を、心の中で黙々と、アチャン・マンに詫びた:

”大徳、どうか許して下さい・・・。”

その後に誓った:

”これからは決して、無頓着であったり、怠けたり、懊悩したりしません。”

荼毘の日が来ると、メーチ・ケーウとその他の尼僧は、もう一度サコンナコンに向かった。

彼女たちが到着した時、ちょうど僧たちが厳粛に、寺院のあずま屋から、アチャン・マンの棺を担いで、火葬場に向かう所であった。

棺が前を通る時、メーチ・ケーウは、送別に来た多くの人々と共に、はらはらと、涙を零した。

彼はすでに寂滅し、清浄なる涅槃の境に入った。

永遠に、二度と、色身の存在に、戻ることはないーーこの涙と悲しみの溢れる地に。

真夜中に、荼毘の火がつけられた。

彼女はずっとそこにいて、その全部を見ながら、茫然自失した。

ただ、一つだけはっきりしていたのは、彼が、月の光の下で、ひとひらの小さな雲に化身し、猛然と燃え上がる薪の上に、軟らかい雨の糸を降らした事であった。

(5-1につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>