<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
朝の曙光を見ると、彼女はすばやく心身を摂し、寒風の中を、仏殿まで行って、皆に会った。
彼女は話し始めると、目から、涙が零れた。
涙は、一粒一粒、アチャン・マンが最後に示した事績ーー彼の姿、彼の警告、彼の教え、彼の逝去ーーと共に、頬を流れ落ちた。
皆は、メーチ・ケーウの予知能力を深く信じていて、これまで疑った事がなかったが、この訃報だけは、受け入れがたかった。
メーチ・ケーウが話し終わると、皆は集まって、一塊になった。
この時、村長が突然やってきて、仏殿の階段に飛び乗り、一気に訊ねた:
”メーチ!メーチ!
あなた方は、知っていますか?
何か聞いていませんか?”
彼は深く息を吸うと、ゆっくりと吐き、声を低めて言った:
”昨夜、アチャン・マンが、サコンナコンで、入滅された。私はさっき、何分か前、ラジオでそれを聞いたのだ。彼らが言うには、朝の2時半に、逝去されたそうだ”
皆はそれを聞くと、耐えきれずに、声を放って泣いた。
村長はそれを見て、狼狽え:
”すまない・・・。
私はただ、情報を持って来ただけで・・・。”
と言った。
アチャン・マンは、1949年11月10日に、逝去した。
その二日前、メーチ・ケーウは、48歳の誕生日を迎えたばかりだった。
葬礼は、1月の末に行われる事になり、その前に、メーチ・ケーウは、一度サコンナコンに行って、喪に服した。
彼女は、アチャン・マンの棺の前に跪いた。
アチャン・マンの棺は木製で、蓋は、ガラスで出来ていた。
彼女は、冷たくなった遺体を見つめ続け、後悔が止まなかった。
彼女は己の過失を、心の中で黙々と、アチャン・マンに詫びた:
”大徳、どうか許して下さい・・・。”
その後に誓った:
”これからは決して、無頓着であったり、怠けたり、懊悩したりしません。”
荼毘の日が来ると、メーチ・ケーウとその他の尼僧は、もう一度サコンナコンに向かった。
彼女たちが到着した時、ちょうど僧たちが厳粛に、寺院のあずま屋から、アチャン・マンの棺を担いで、火葬場に向かう所であった。
棺が前を通る時、メーチ・ケーウは、送別に来た多くの人々と共に、はらはらと、涙を零した。
彼はすでに寂滅し、清浄なる涅槃の境に入った。
永遠に、二度と、色身の存在に、戻ることはないーーこの涙と悲しみの溢れる地に。
真夜中に、荼毘の火がつけられた。
彼女はずっとそこにいて、その全部を見ながら、茫然自失した。
ただ、一つだけはっきりしていたのは、彼が、月の光の下で、ひとひらの小さな雲に化身し、猛然と燃え上がる薪の上に、軟らかい雨の糸を降らした事であった。
(5-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>