<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
何週間かの後、アチャン・マハブーワは、彼女が指導を聞き入れない事に、気が付いた。
その為、アチャン・マハブーワは、禅修行の時に、いか程かの時間、心を完全に内に向けて、専注するようにと、きっぱりと、告げた。
彼女はこれまで通り、時々は、覚知を外部にある現象に向けてもよいが、しかし、その他の時間においては、覚知が内部に留まるのを、強制しなければならない、と言った。
彼は彼女に、己の心を制御する事を学ぶよう促したが、それは、意識流を随意に、内部また外部へと導く事ができるように、なるためであった。
禅相が、心の内部に存在する、意根に接触する事から、メーチ・ケーウは、これこそが、己の心の探究である、と思いなした。
彼女は、定の中で生起する現象を観察することは、これらの現象を認識する所の意識を、理解することができ、その行為により、実相を洞察することができる、と確信していた。
故に、彼女は己の見解に固執し、修行の方法を変更することを嫌がり、公然と、アチャン・マハブーワの教えに、真っ向から抵抗し始め、彼女の禅修行の方法は、すでに深い知見を齎しており、変更する理由がないと、態度で表した。
アチャン・マハブーワは、忍耐強く説明した。
彼女が見ているのは、宇宙に、自然に存在しているものであって、通常、肉眼でみているものと、大して変わりはない。
禅相の中に顕現する世界は、人間世界と同じように、真実で明らかであるけれども、しかし、認知の知覚から言えば、これらは、皆、外部に属しており、物質のようには、明らかな形態を持たないものの、それらを知りえる知覚とは、隔たりがある。
最も重要なのは、観察者の立場から言えば、物質的な対象と、心霊的な対象は、なんら差異はなく、すべては、外部世界のものである、という点であった。
彼は、メーチ・ケーウに、注意力を向ける方向を転換させて、外に向かって流れる意識を止めて、それを内に向けわせる事、心の本性ーー知覚の源流ーーに覚醒することを勧めた。
メーチ・ケーウは、反対し続けた:
天眼で見える特殊で微妙なもの、それは、肉眼でみるものとは異なる。
天眼は、各種の亡霊の魂や、神識を見ることができる。
天界のすべての天人と交流することができる。
過去世の因と縁を見ることができ、未来を正確に見ることもできる。
彼女は、これらの知見は、通常の感官の認知を超越している、と言い張った。
(5-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>