「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-10
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
当你的心対自性的領悟彷彿繁花般盛放、
(錦の花々が、満を持して咲き誇るように、
あなたの心に、自性に対する領悟が得られる時)
那漫長無際的苦悩之尽頭、
(長く、際限のない苦悩の尽きる果てが)
将慢々出現在眼前。
(ゆっくりと姿を現す)
法の予兆
メーチ・ケーウは、薄暗い夕暮れの景色の中を、重い足取りで、道場の入口まで歩いて来て、そのまま、自分の茅葺小屋に入った。
彼女は一人で、この日の、痛恨の出来事を、よく考えてみたかった。
今まで、よく知っていると思っていた住処は、突然、見知らぬもののようになり、自分は、偶然ここに迷い込んだ、異邦人のようであった。
彼女の心は心配事で一杯になり、色々と考えあぐねている間に、夜は、こっそりと近づいて来た。
空の上の月と星は、昨日より暗く、その数も少なかった。
彼女の自信は、大いに打撃を受けて、失意の余り、何をどうしていいのか、分からなかった。
心内には、一種の焦りが感じられ、何かが変わらなければならない、という気がした。
困難を目の前にして、メーチ・ケーウは、アチャン・マハブーワが己を追い出したのは、正当な理由がある、と思い至った:
自分は、故意に、彼の指導を受け入れなかったし、何等の変革も、望まなかった。
徹底的に反省すればするほど、己の傲慢が、事件全体の起因であるという事が、はっきりと見えてきた。
アチャン・マハブーワは、彼女の禅法を認めず、彼女に方向転換するように指示したが、当然、彼には彼なりの、理由があったのに違いない。
それなのに、なぜ、私は、受け入れなかったのか?
彼女は、自我の放縦の中に耽溺し、彼の教えを受け入れず、その結果、得る所は、何一つも無かった。
もし、彼の言う通りに、修行していたら?
彼女は少なくとも、言われた通りに、試すことはできた。
執拗に拒絶したのは、なぜなのか?
己の過失を明らかに知った今、彼女は己を責めた:
私は彼を師として崇めたのだから、彼の教えに従うべきだった。
彼の言う通りに試してみれば、彼の教えが正しいかどうか、分かったに違いない。
朝が来て、疑心は徐々に晴れていき、彼女は、心を入れ替える事を決意し、己の心に対して、教えを受け入れる様に迫り、その結果が、どのようなものであっても、甘んじて受け入れよう、と思った。
(5-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>