「メーチ・ケーウの物語」、翻訳している私、ドキドキ、ハラハラ、とても面白い伝記だな、と思います。
私の知り合いに、ある新興宗教団体に入っている人がいて、私も勧誘されたのですが、私は南伝仏教しか興味がないので、お断りしたことがあります。
彼女が言うには、その団体の指導者は、霊能者だそうです。
私は「霊能者に付いて行ってどうするんだ!?」と思いましたけれど・・・もちろん、口には出しません・・・私も暗中模索の身、人の事は言えません。
メーチ・ケーウも、いよいよ霊能者から、<己自身を見つける修行>に転換するようです。
我執を放棄するのが、如何に大変か。
メーチ・ケーウレベルの人でもそうなんですねぇ。人の抱える業は皆、同じなんだなぁ、と思いました。
仏教書を翻訳していると、<能知>という言葉がよく出てきます。その対になるのは、<所知>です。そのココロは、<知るものと知られるものの関係>という事になります。
「心身は己のものではない」とゴータマ仏陀はいいましたが、それならば、その事を知っているのは誰か?という命題ですね。
私の庵の名前も、このことから由来しています。
さて、「メーチ・ケーウの物語」は、合計244頁ありますが、今、170頁の所まで来ました。余すところ1/3です。後一か月くらいで終了でしょうか。
その後は、パオ・セヤドーの「顕正法蔵」に頑張りますが、新しく「身念処(身念住)」も並行して翻訳します。
これまで、パオ・メソッド(まずは、安般念で初禅に入れ、話はそれからだ)と四念処の関係がよく分からなかったのですが、「身念処」に絞ったこの論文を翻訳すれば、少し見えて来るものがあるかも知れません。
よろしくお願いいたします。