Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~真我と涅槃

メーチ・ケーウ、悟りましたね、涅槃を!

原文で、P198の所で(笑)。

ほっとしました!

メーチ・ケーウが涅槃を悟る場面の、その前後の辺りを翻訳していて、<真我無明>という言葉に出会いました。

真我というのは心が「私は真我である」と思っている以上、汚染があり、無明なのですね。

しかし、人が、真我が分かるようなレベルまで来ると、心は光り輝き、一種の空を体験するので「私は涅槃を悟った」と誤解するようです。

よく「真我なんて、あれはヒンズー教の・・・」と馬鹿にする仏教徒がいますが、私は批判なんて、とてもとてもと、思います。

真我まで来たら、涅槃までもう一歩です。

お互い、輪廻を厭う同志ならば、共に手を携えて、涅槃を目指せばよいのだと思います。

いや、まぁ、凡夫の私が、こう言っても、からきし、説得力はありませんが(笑)。

 追記:

ヒンズー教の世界では、<真我>を最高の境地としていて、それは涅槃そのものだ、という人もいます。仏教徒の基準から言えば、涅槃の手前ではないの?と 言うことになりますが。

このあたりは微妙で、言葉だけで論戦しても余り意味がないかもしれません。

それよりも、真我と言いながら、四姓差別がなくならない、インド社会の社会的病いの方が気になります。また、仏教国である、スリランカにも、緬甸にも、内紛は絶えない。タイだって、毎日殺人事件は起きるし、泥棒もいます。自戒あるのみ。