「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-10
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ペンスリ医師は、当時の体験を振り返って、メーチ・ケーウを治療したことは、医師としての己にとって、一番大変な時であった、と述べている。
彼女自身が修行中の身であったので、阿羅漢であるメーチ・ケーウを治療するのに気後れがしたし、彼女の気持ちをくみ取るのも、難しかった。
ペンスリ医師は、病人の、ある種の病を治してあげたとしても、その人は、別の何かの疾病で死ぬのであるから、彼女の治療の重点は、病人を治す事にあり、病気を治す事には置かなかった。
メーチ・ケーウが病膏肓であったことから、ペンスリ医師の看護の重点は、彼女に気持ちよく過ごして貰うことに置いた。
故に、毎回、処方箋を作る時には、彼女は、メーチ・ケーウに診断の結果と、治療方針を説明した。
メーチ・ケーウが受け入れればよし、もし受け入れないならば、ペンスリ医師は、彼女の意志を尊重した。
メーチ・ケーウは、この時より、14年経って、逝去した。
長年床に伏したが、彼女は依然として、出家の本分を守り、禅の修行も続けた。
彼女は、毎日の日課をちょくちょく調整して、衰弱して行く己の身体の状況に合わせた・・・死に急ぐ必要も、なかったが故に。
彼女は、特別謙虚で、礼節のある態度を顕した。
誰かが彼女の手伝いをすると、彼女はいつも相手の功徳を讃嘆し、医師が薬を処方すると、薬を両手で高く額の上に捧げ持って、感謝を表した。
彼女は同様の方式で、道場にやって来る訪問客に対応し、励ましと智慧の満ちた言葉で、彼らの疑問に答えた。
彼女の心は、常に清らかで光り輝いていたが、彼女はまた、不断に指導もした。
彼女は若い時すでに、肉身が不断に死亡へと向かっている事実を看破したので、己の状況を淡々と受け入れ、毛一筋ほどの後悔もなかった。
命の残りの時間と精力を、無私の心で、祝福を求めてやって来る人々に、捧げ尽くした。
長年の病気によって、メーチ・ケーウの嚥下力と消化力は、ますます困難な様相を呈し、その結果、彼女の食事の量は、非常に少なくなり、一回にほんの少し食するだけになった。
彼女は年を取って、歯が抜け落ちたので、食べ物を咀嚼するのもゆっくりで、また気力がついて行かなかった。
多くの場合、少しの食べ物を飲み込むだけで、一時間もかかったりした。
時には、身体が余りに疲れているのか、または興味を感じないのか、食べながら眠ってしまうこともあった。
彼女はすでに、人体は、永恒不変の本質を持たない事を、洞察して知っていたが、この一副の臭い皮袋を引きずって生きるのは、重い負担であり、しかも、身体は年老いてますます虚弱になるが故に、背負う重荷もますます重くなるのであった。
(6-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>