Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-5

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

     <メーチ・ケーウ法話集>

我々は、生まれてはまた死に、

死んでは、また生まれ、

生、老、死が、輪転して止まない。

我々仏弟子たるもの、決して、

己自身の真実に関して、

何一つ知らないまま、

命朽ち果てるなどということが

あってはならない。

死がやって来たとき、

よりよく死ぬこと、

清らかに死ぬこと。

心身に対して、

毛一筋程の気がかりも残さないこと。

全き放下をして、自在に死ぬこと、

法の本性を証悟して後に死ぬこと、

仏陀の足跡を追うこと、

如々に死ぬこと、

”不死”の界に入ること、

これらができなければならない。

 

ある人がアチャン・マンに聞きました:

”森林の禅僧は、どんな本を読むのですか?”

彼は答える:

”まず、目を閉じて、精神を奮い立たせて、

それから読み始める。”

”私は、朝早く目が覚めたなら、

目は、色相の爆撃を受けるので、

私は、目と色相の接触を観察する。

私の耳は、音と接触し、

私の鼻は、匂いと接触し、

私の舌は、味と接触し、

身体は、冷熱・硬軟と接触し、

心は、念頭(=想い)と感情に接触する;

すべての根門は、

外塵に触れて、爆撃されるので、

私は、これらのものを、観察し続ける。

このようであるから、

私の根門の一つ一つは、

皆、私の教師と化す。

私は毎日、一刻も休まず仏法を

学んでいるが、ただ、己が、

どの根門を選んで専注するかによって

(+内容が変わる)。

私は専注する時、

その内にある実相を

徹底的に知るよう、努力する。"

これが、アチャン・マンが私に教えた、禅の修行方法である。

(7-6につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>