<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第一章
理論
一切の有情は、既に生まれたものも、これから生まれ出ようとするものも、彼らの躯殻(=身体の殻)を残して死ななければならない。
この有情の共通の運命を知ったならば、智者は、修行に努力して、高尚な(宗教的)生活を送らなければならない。
(無問自説経、小部ニカーヤ)
・・・敬虔な心でもって、仏、法、僧に帰依する時、彼は更に大きな果報を得ることができる;
敬虔な心で持戒するならば:不殺生、・・・不飲酒ーー放逸の因・・・敬虔な心でこれらの戒を持するならば、彼は更に大きな果報を得ることができる;
彼の行為は、すべて慈悲から出ているーー一陣の慈悲の香・・・、このようであれば、彼は、更に大きな果報を得ることができる。
そして、彼が必ずしなければならない事は、ただ、一弾指頃(=一刹那)の、無常想である。
(増支部ニカーヤ)
(1-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処禅修法」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>