<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
8-8-9 如何にしてジャーナを維持するのか?
かくの如くにジャーナを証得したならば、禅修行者は、毛髪を射る者、または料理人のように、その方式を観察して、それを証得しなければならない。
ある一人の射手が、毛髪を射て、それを裂こうとしている。彼は以前、本当に毛髪を射た事が有り、当時、彼は、己の両足、弓、弦と矢の方角に注意したが、それは以下の通りである:
「私はこのように立ち、このように弓と弦と矢を持った時、私は毛髪を射て、それを裂いた。」
その時からこのかた、彼は同様の方式を再度掌握し、再度、毛髪を射て、それを裂く事に成功した。
同様に、あなたは、「適切な食べ物」など等の方式を、観察しなければならない。
たとえば、:
「この種の食べ物を食べ、この種の人間と接触し、この種の場所に住んで、この時間に、この種の姿勢において、これを証得する事ができた。」と。
このように、ジャーナを失った時、あなたは、再度、それらの方式を掌握し、改めて安止に入り、または、己がそれを熟知するように(+努力)するならば、あなたは何度も重複して、安止に入ることができる。
(5-107につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>