<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
あなたが相を観察する事を通して、再度、これらの方式を掌握したなら、あなたは成功里に、安止に到達する事ができるが、しかし、それを永く維持する事ができない。
それは、(+心が)禅定を障礙する所の諸蓋の中から、清らかに出て来て初めて、長い時間、維持する事ができるようになるのである。
あなたが、欲々の危険を省察しておらず、また、完全に欲々を鎮伏しておらず、先に、名と身を完全に静めて、身体の動揺(すなわち、瞋恚、恨み)を平静にしておらず、いまだ、界に致力して、完全に昏沈と睡眠を取り去っていないのであれば、また、心中の、定の障礙になる所の、その他の諸々の蓋または不善法を清らかにしていないのであれば、あなたは、非常に早く、再び、当該のジャーナから出て来るに違いない。
それは、ちょうど汚い蜂の巣に入った蜜蜂のように、または、乱れた公園に行った国王のように。
(5-109につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>