<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
a)一人ひとりは、四法の中の三法(心王ーー心所ーー色法)を具足している。または、この四法を、心と身体(名と色)に要約する事ができる。
または、それらを五つの細かい部分、五蘊:色、受、想、行、識に分ける事もできる。
この三法(心王ーー心所ーー色法)は、我々をして、生死輪廻ーー不断に生・老・病・死の中に繋ぎ止める。
この三法(心王ーー心所ーー色法)は、因と縁によって生じ、また、お互いに因となり縁となり合ってもいる(たとえば、身体があっても、心が無ければ活動できないし、心があっても、身体がなければ、作用を起せない)。
その上、心身は、一生の内で、不断に迅速に生・滅しており、それを我々が察知できるかどうかに関わらず、一刹那毎に、心身は不断に生・滅変化している。
これは世間法であるが、この有情の変化を主宰・介入しているのは、上帝(=最高神、創造神)でも梵天でも、その他の神秘的な力でもない。
(1-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>