「身念処」1-17
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
禅定の修行は、仏陀の(+生まれる)前から、存在していた。
仏陀は、最高の(第八次第)禅定を成就するまで、禅定の修習をした。
しかし、彼はこの種の定は、潜在的な煩悩を断じ除く事ができないことに気が付いた。
その後、彼は、八聖道を発見して、四聖諦を体験・証悟したーーすなわち、、道を悟ったのである。
その後に、彼は言った:「これは私の最後の生である」と。
このことから、悟道(涅槃)は、煩悩を断じ除いて、苦を滅する事ができるーー二度と輪廻しないーー故に我々は、ただ涅槃だけが楽である、のだと言うのである。
世界のすべての哲学の中で、仏法だけが、苦の滅に関する智慧にふれている。
我々は、どのようにしてこの事を証明するのか?
しっかりと八聖道を守れば、苦の因ーー煩悩ーーを断じ除くことができる。そして、煩悩は、ただ智慧によってのみ、断じ、取り除くことができるのである。
修行の成就は、智慧を増長(=増強)することができる。
そして、この種の智慧(内観または実相般若)は煩悩を断じ除くことができる。すなわち、仏法だけが、完全に煩悩を断じ、除く事ができるのであるーーその意味は、涅槃への到達である。
これは、八聖道を学び、修習すれば、智慧を増長(=増強)することができる事を証明しているものである。
最後に、以下に述べるこれらの問題は、涅槃に関する重要な課題である:
a)涅槃とは何か?
b)どこが涅槃か?
c)あなたは、どのようにして、涅槃を見るのか?
(上記の疑問の意味は、あなたが、涅槃の存在を信じている、という事を前提として・・・)
(1-18につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>