<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
涅槃は、心ではない。
それは、心の所縁である。
実相般若が非常に強い時、心は、凡から聖へと、転換する事ができる。
この種の転換を、道刹那と呼ぶ。
道刹那の後ろには、道果が続く。
両者は皆、涅槃を所縁とする。
苦の因が滅した時、苦(果)は、その道において、殊勝な道刹那によって、滅せられる。
悟道の四つの道とは:
入流果、一来果、不還果と円覚または円満者(阿羅漢果)である。
10種類の束縛が、我々の悟道を障礙している:
すなわち、
1、我見(=私が存在しているという見解)。
2、仏陀の教法への懐疑。
3、儀式または各種の式に執着する事(戒禁取見)。
(これは、何らかの儀式を信じる事、たとえば、線香を焚く、または慣例的な行為または礼拝が、涅槃へと導くと考える等の、何らかの信仰を意味する)
4、欲貪。
5、瞋恚と怨恨。
6、色貪。
7、無色貪。
(色界は、色身の存在する場所である。無色界は、心だけが存在する場所である。
故に、6と7は、天界を追い求める生存の欲である)。
8、慢。
9、掉挙。
10、無明。
こうしたことから、最初の道、入流果の道刹那は、前の三種類の束縛を、断じ除く;
第二番目の道、一来果の道刹那は、第四、第五の束縛を弱める;
三番目の道、不還果の道刹那は、第四、第五の束縛を断じ除く;
第四番目の阿羅漢果の道刹那は、残りの五つの束縛を断じ除く。
c)あなたは如何にして、涅槃を見るのか?
もし、涅槃を見たいのであれば、必ず、正確な方法で、四念処を修しなければならない。
正確に四念処を修する事は、悟道へ向かう、唯一の道である。
仏陀は言う:
「比丘たちよ!
この道は、凡夫をして、清浄に導く、唯一の道である。(《大念処経》、長部第22経)。」
四念処は、37道品の最初の基礎である。
仏陀が修した事のあるように、37道品は、我々をして、四聖諦を体験・証悟せしめる事ができる。
心が完全に煩悩を清らかに断じ除いた時、あなたはそれを、己自身で知る事ができるーー他人に教えてもらう必要はないーーというのも、涅槃は実相であり、あなた自身によって知られるものであるが故に。
ちょうど、比丘が誦する偈のように:「毎個人由他自見(一人ひとりは、自ずと自ら見る)」。
(1-20につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>