Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~白菊会

昨日は、某大学医学部白菊会(献体関連の、大学の外郭団体)の合同慰霊祭があり、お招きがあったので、行ってきました。

私は献体登録をして、もう30年くらいになります。

20年前に、子宮がんを手術した時は「もう献体できないのか?」と思いましたが、その後、規約が改正されて、いくつかの感染症患者と両眼網膜献体者以外は、献体できるようになったようです(ホッ)。

死後、献体すると、その2、3年後に、医者の卵さんたちの解剖の練習台になり、その後火葬、合同のお葬式と、大学側が責任をもってやってくれます。

今回会場で配られた会報を読むと、大学には「合同納骨堂」もあって、家族が遺骨を引き取らない場合、ここへ納めてもOKだそうです(この件を知らないでいて、息子には散骨をお願いしてしまいました)。

南伝の仏教徒は、輪廻を信じています・・・というか、本来は「知っている」のが良いのですが・・・「信じる」と「知っている」では、その精神性は、雲泥の差でしょう・・・で、「輪廻を知っている人」は、お墓は無意味だ、ということも知っています。

20年前、私が緬甸のパオ森林寺院の本山にいた時、寺院で亡くなった老比丘がいて、お寺の台所の横の空き地で火葬(積み上げた薪の上に遺体を乗せて焼くだけ)して、遺骨は、その脇にある溝に放り込んで葬儀終了、という光景を見たことがありますが、輪廻するのですから、残された遺骨は、ただの残り物・・・クール?・・・シュール?でしたねぇ。

日本では、遺骨を恣意的に捨てる事は、法律が許しませんからお墓が必要で、または散骨するか、あまり選択肢はありませんが・・・、

私は「大学の合同納骨堂にいれて」と息子に遺言しておく事にします。

もし、南伝の森林寺院にいて、座禅・瞑想しながら死ねたら、それもまた結構ですが、日本で死ぬなら献体して、合同納骨堂に入れてもらって、メデタシ、メデタシです。

(南伝・テラワーダ仏教では、出家、在家にかかわらず、座禅・瞑想中に亡くなると、非常に喜ばれます。輪廻の先が、絶対悪い所である訳がない、という事で・・・お寺で死なれて困るワ、なんて事は誰も思いませんので、とても安楽です)。