<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
2)受
身念処を修している時に、受を観じてはいけない。受念処の修習の時にだけ、受を観ずるようにするべきである。
たとえば、身体が痛みを感じる時、心が痛みを知っているという事に関しての、観照をしてはならない。このようにすると、(+修行が)非常に複雑になる。
受を四念処の修習の所縁にすると、非常に修行が難しくなる。というのも、合計で9種の受があるが故にーー捨受を含むこれらは、非常に観照が難しいものである。
3)心
16個の心念処(+がある):
貪心、無貪心、瞋心、無瞋心、痴心、無痴心、淫欲心など等である。
4)法
5個の法念処がある:
1、五蓋。
2、五蘊。
3、12処(感官の範囲、たとえば、聞く等)。
4、7菩提分。
5、四聖諦。
1-3-1-2 身念処
身念処の修行方法には、14種類ある。
しかし、この修行方法は、二種類(+の状況)においてのみ、用いられる:
粗い動作と微細な動作である。
初心者は、身念処から修行を始めるべきであるーー粗い動作と微細な動作ーーというのも、身体は、心より観照しやすいが故に。
身体を明確に観照して(+その内容が)明確になり、その為に、煩悩がなくなった時、実相般若が生起する。
その時、あなたは心を観照する事ができる(これは、ちょうど鏡をしっかり磨いたならば、あなたは容易に、物を見る事ができるようになるのと同じである)。
身念処はまた、現代人の性質と行動に合っている(1-3-1-4-1節参照の事。色々な人々の所縁の対象として適切である)。
粗いかまたは微細な動作を観照するのは、その他の(+種類の)身念処(+を修行するより)色身(+の内)に隠れている苦を、見つけやすい。
(仏陀は、色身の動作に関して明覚する時、身体の苦は隠れている事ができない、と述べている)。
14種類の身念処の中で、3種類だけが、真正なるvipassanaの修法である、と言える:
(+それはすなわち)粗いかまたは微細な動作及び、身体の構成物の観照である。
(1-27につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>