Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~凛々として

2011年に東関東・福島大地震が起き、東電原子力発電所が暴発し、廃墟と化しました。

私はそれ以前に、通訳随行員として、女川原発を視察した事が有り、施設内部を見、職員の説明を聞いた結果、原子力発電にはよい印象を持っていませんでした。

そのため、京都大学原子力を研究し、その危険性を告発し続けてきた小出裕章先生に、大いに賛同する所があります。

先日久しぶりに、京都大学を引退されて長野に移り住んだ小出先生のWEBでの発言を読んでいましたら、「私は政治が嫌い」「宗教も嫌い」「宗教って、依存でしょ」という発言が見られました。

「宗教って、依存的な所あるよね」と私も思います。

心酔できる指導者を見つけて、その人にただただついて行く・・・そんなイメージでしょうか?

仏教を実践している私としては、「仏教は自立の為に学んでいるのだ!」と声を大にして言いたい所ですが・・・。

宗教を学ぶ人、一人一人が「自分は指導者に依存していないだろうか?」「教えに対して、教条的になっていないだろうか?」と常に、自問する必要があります。

ゴータマ仏陀も述べていますが、僧侶だから、比丘だから、指導者だから、言っている事が全部正しい、とは限らないのですから、教えの内容を、自分自身の頭と身体と心で確かめながら、一歩一歩、前へ進むしか方法はありません(道を間違えたら、自己責任です)。

私は、仏教は、己自身の、真の自立のためにある、と思っています(ただ、人間は完璧ではないので、<真の自立>というのは難しいですね。凡夫なら<自律>が出来ればヨシでしょうか)。。

強くしなやかに、凛々と、自立・自律して生きるために、(方便の一種として)仏教を学ぶ・・・・・・外の人に「あれは一種の依存症だ」などと、嗤われないようにしたいものです。