「身念処」1-36
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-4-2 四聖法の応用
1)苦の体験(苦とは五蘊の事:すなわち、心身)これは一般的な苦を言うのではなく、根本的な苦である(苦諦)。
2)集は苦の因である。
3)涅槃(苦の止息:滅)。
4)八聖道を奉じれば、四聖諦を体験・証悟することができる。
1-4-3 この修法が四聖諦に合致する理由
1)この修法は、苦諦をあらわに示している:故に、我々は修行をして、苦を体験しなければならない。苦とはすなわち、心身の事である。
2)この修法は、煩悩が苦を作る事をあらわに示している:我々は、貪愛を取り除く為に修行しなければならない。我々は、苦を体験すればするほど、渇愛(貪愛)を断じ除くことができるーーというのも、貪愛はすなわち、心身を「我」だと執着することから来ており、また「我」が苦を受けているという邪見から来ているためである。
3)煩悩を断じ除くことは、滅(涅槃)へと導き至ることができる。
というのも、貪愛が益々多く断じ除かれるほど、益々涅槃に近くなるが故に。
4)我々は、涅槃に近くなればなるほど、八聖道を円満成就することを意味する。
もし、般若の智慧で苦諦を体験・証悟したならば、すべての四聖諦を証悟した事になり、修行も円満成就する。
(1-37につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>