「身念処」1-42
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-4-5(第二聖諦)
第二聖諦とは、苦因聖諦(集諦)の事であるーー苦の因とは、すなわち渇愛、または貪愛である。
三種類の貪愛がある:
1)欲貪(感官的な貪愛)。
五根の、五塵(色、声、香、味、触)に対して生起する、貪欲的な欲求である。
もし、五塵に対して楽受する事がないならば、欲貪は生起しない。たとえば、もし、あなたが諸々の根を善く護る事ができる時、欲貪は生起しない。
欲貪は、阿那含道(不還果)を証悟した時にようやく、完全に断じ除く事ができる。
2)色貪(生存に対する貪愛)。
「Bhava」の文字上の意味は「有」で、(~になる)という意味を持つ。
輪廻の中で、何度も何度も、不断に生まれる事を指す。合計31種類の「有」、または生存の状態があるが、それは、地獄の有情から、最高の天界の衆生までを含む。
色貪(生きる事を求める欲)は、人をして、生きる事に貪欲にせしめ、死ぬのを恐れる様にせしめる。それは不治の病を得ても、重病にあっても、身体障碍者にあっても、例外ではない。
色貪は、阿羅漢道によって、ようやく断じ除くことができる。
3)無色貪(断滅見を擁しているが故に生じる貪愛)。
これは「断滅見者」が、人はただ一回の人生しか生きない、死後は何ものをも、一つとして所有することができないと思って、(+人生に)妄執する事によって起こる邪見である。
人は一回きりの人生であると思うが故に、断滅見者は、生きている間に思いきり楽を享受したいと思う。
入流果(=預流果)の道刹那において初めて、無色貪は断じ除くことができる。
一人ひとりは、皆、欲貪を擁している。
しかし、欲貪があれば、色貪または無色貪が生じる。というのも、彼らは生存を貪欲に求めるか、または、断滅見によって、貪欲な欲求を生起させるが故に。
上述の三種類の貪愛は、ある種の、新しい生命の形式(「有」)の出生に、至らしめる。
(1-43につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>