Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「身念処」1-50

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1-5-1 三種類の修行の智慧(世間的智慧とは異なる智慧)

1)聞慧(注1)(文字般若):

修行する前、理論によって知ること、または経や法を聞き、討論を通して、得る知識。

2)思慧(注1)(観照般若):

修行を通して、得る認識。

3)修慧(実相般若):

ただ色と心の二法しかない事を、実相般若によって知る事。その色心二法とは、無常・苦・無我である(+事を知る)。

(正しい理論は、正しい修行を導く。正しい修行は、修慧、または実相般若と称されるものを、激発することができる。)

Vipassana修法は、サマタ修法とは異なる。

もし、修行者が、この事を知らずに、両者を混同して、一つの事柄として語るならば、その修行は、実相般若を激発する事ができず、苦を滅する事ができない。

サマタを修することは善法であるが、しかし、サマタは、ただ(+心を)平静にするだけで、(+未だ)生死輪廻の内にあるものである。

(1-9節、サマタと vipassanaの区別、参照の事)。

(注1)技術的には、聞慧(聞くことによって慧となる)は、理論を聞いて、道を悟るのを言う。

思慧(思惟する事によって慧となる)は、人に教わることなく、己自身で知り(+悟る事)。ただ、仏陀だけが思慧を擁する。

しかし、上記の修法において、我々は、理論を理解する事をもって、聞慧を代表させ、正しい理論を用いて修行するのを、思慧であるとする。

(1-51につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>