南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」1-58(50/203)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

<今・ここ>を保持する為には、正念正知でもって身・心を観照しなければならない;

心に煩悩が無い時にのみ、(図1-3)にある所の、前三個(=色法、心所、心王)の所縁を、見ることができる。

身・心を所縁とする修行を、第12階智(随順智)に至るまで、不断に、続けなければならないが、その後においては、この所縁を捨棄し、これ以降は、涅槃が道心と果心の所縁となる(+ような修行を続ける)。

このようにして初めて、聖者または、出世間の階位を得る事が出来る。

<今・ここ>とは、身体または心を照見しているのであって、その所縁は、善である事も、悪である事も、または無記である事もあり得るーーしかし、それは四念処の所縁の内の一つでなければならない。

心に煩悩があるが故に、vipassana(注1) の修行をしなければならない訳であるが、また、煩悩のある所には、必ず、vipassana を運用するか、修習するかして、それを破り、除かねばならない。

例えば、耳が音を聞いて、煩悩が「私が聞いている」と認める時、vipassana があれば、我々は「心が聞いてる」という事に覚醒する事ができ、その時、煩悩は消滅する。

(注1:阿羅漢はすでに煩悩がないので、vipassana の修行をする必要がない。)

(1-59につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>