<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
<今・ここ>を保持する為には、正念正知でもって身・心を観照しなければならない;
心に煩悩が無い時にのみ、(図1-3)にある所の、前三個(=色法、心所、心王)の所縁を、見ることができる。
身・心を所縁とする修行を、第12階智(随順智)に至るまで、不断に、続けなければならないが、その後においては、この所縁を捨棄し、これ以降は、涅槃が道心と果心の所縁となる(+ような修行を続ける)。
このようにして初めて、聖者または、出世間の階位を得る事が出来る。
<今・ここ>とは、身体または心を照見しているのであって、その所縁は、善である事も、悪である事も、または無記である事もあり得るーーしかし、それは四念処の所縁の内の一つでなければならない。
心に煩悩があるが故に、vipassana(注1) の修行をしなければならない訳であるが、また、煩悩のある所には、必ず、vipassana を運用するか、修習するかして、それを破り、除かねばならない。
例えば、耳が音を聞いて、煩悩が「私が聞いている」と認める時、vipassana があれば、我々は「心が聞いてる」という事に覚醒する事ができ、その時、煩悩は消滅する。
(注1:阿羅漢はすでに煩悩がないので、vipassana の修行をする必要がない。)
(1-59につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>