Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「身念処」1-60

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1-7 精進ー正念ー正知、如理作意と観察力

定義:

a)Atapi の意味はすなわち、「精進」。

b)Sati の意味はすなわち、「正念」。

二種類の正念がある(すべての正念は、善法であるが、日常生活における「注意力の集中」と混同してはならない。これは、想の一種である。)

1)一般的な、または世間的の正念は、覚照力(明覚)を持って、何かの善行を行う事ーー例えば、托鉢の僧侶に食べ物を供養するなどなど。

2)四念処の修法の中の正念は、<今・ここ>において、観照する所の所縁に念住(=念を留める)ものであり、(+その所縁とは)心または身である。

c)Sampajanna の意味はすなわち「はっきりと知っている事」。

それは、いつも正念と共にある。

例えば、座っている姿を知っているのは、正念であり、これは座っている色身である、という事を知っているのは、正知である。

正念と正知が組み合わさると「覚照力」と呼ばれる。

正念正知は、経典の中では「殊勝な救済(+力のある)功徳」と描写されているが、それは正見の成就と、八聖道の体験・証悟に対して、用いられる表現である。

上述の a、b、c の三点は、明覚または「三心」と呼ばれる。

正念と正知を増進する事のできる四つの功徳とは、以下の通り:

1)適切な地域または環境に住む(仏法のある国に生まれる等)。

2)善知識に親しむ(善知識とは、vipassana 修法を了解・理解する人)。

3)己の方向性を設定する(苦を滅する事に関して、堅固で勇猛な心を持つ)。

4)以前(前世)において、功徳を積んでいる事。

(1-61につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>