<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
煩悩と智慧は、心に命令して、身体にしてもらいたいと思っている事柄を、身体に要求させる事ができる。
煩悩が「我々は散歩に行こう」と言う時、楽しみを探しに行く、という訳である。
智慧は、座る姿勢が痛い時、色身に命令して「姿勢を変換しよう、歩いて苦を治そう」と命令するが、この時、智慧が正しく運用されているのだ、と言えるーーというのも、苦の切迫により、色身の姿勢を変えさせるが故に。
一番目の煩悩ーー粗いもの;
この種のものは、戒律で降伏できる煩悩である。例えば殺、盗など。戒律は、この種の煩悩を取り除く事ができる。
二番目の煩悩ーー障礙(蓋):
これは、誰か恨んでいる人を思い出したり、妄想したり、嫌悪したり、または他人に四念処の修行を教えたいなどと思う事。定は、この種の煩悩を降伏する事ができる。
もし、蓋が余りに強い時、それは行動へと変化するーー行動は、粗い煩悩であり、潜在的な煩悩惑もまた、妄想に転換するーー蓋。
心の煩悩(蓋)には五種類ある:
1)過去又は未来の欲楽について、考える(貪欲)。
2)過去又は未来の事柄について、怒ったり、イライラする(瞋恚蓋)。
3)心がどこか別の処へ出て行くーー妄想(慌てたり、憂慮する等)(掉挙蓋)。
4)修行の時に、眠くなる。懈怠または憂慮(昏沈蓋)。
5)疑:仏への疑い、法への疑い、僧(=サンガ)への疑いーーこれは苦を滅する事の出来る正しい方法ではない、と疑うなど等(疑蓋)。
(1-64につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>