最近、何やら、騒がしい。
パーラージカとか何とか、東京の風が、こんな九州の片田舎にまで、吹いてくる。
韓国の法頂和尚(遷化)は、世間を嫌って、どんどん山奥に逃げていく内に、本当に山のどんづまりまで来てしまい、小さな杣小屋に一人住み、川の水で煮炊きをし、衣を洗っていたらしい。
私は静かな夜、小さな灯火の下、そっとアチャン・チャーの本(注1)を開いてみる。
彼は言う。
「本を閉じなさい。
自分の心を見なさい。
仏教は、”心”の宗教、ただそれだけ!
あなたが ”心の本質” に触れる事ができたなら、
人々は、同じ一つの、大きな家族だという事が、
分かるでしょう。」
(注1)アチャン・チャー著「以法為贈礼」より抜粋して翻訳
仏教に、高僧しか知らない<奥義>なんて、ないのです。
ただ、深く深く、己の心を見つめる事のできる人だけが、自分の中に、奥義を見つける事ができるのです。
仏陀に「教師の握り拳」はないのです。
「奥義をあなただけに教えます」などというのは、ありえない。
そんなスローガンは悪徳商法と同じ。
皆様お気をつけ下さい。