今、私は「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」(原題「南伝仏教在家居士須知」)という、台湾のテーラワーダ比丘の著書の翻訳を始めました。
その最初の文章、いきなり<三帰依文>です。
仏教徒になって仏陀、ダンマ(仏法)、サンガに帰依したい人が、善知識である比丘に「三宝に帰依したい」と申し出て、比丘が許可する、という場面です。
この仏教徒の家の近くに仏教サンガがあり、帰依した後は、半月ごとにお寺に出かけて、瞑想したり、皆で一晩ダンマを語り合って過ごす事になるのでしょう(2600年前のインドの風景、または現代のタイ、ミャンマー、スリランカの風景。)
では、仏教徒が一人もいない極北の地で、ただ一人仏教徒になりたいと思ったあなた、どうします?
三帰依文の中の bhante(尊者)を抜いて、自分で黙念すればいいのではないですか?
実は、黙念だってしなくてもいいのです。
自分の心に、仏陀を尊敬し、ダンマを実践する決意があれば、それが<一人ぼっちの仏教徒>であっても、誰がそれを妨害できます?
大事なことは、一人一人がダンマを実践する事であって、群れて組織を作り、その人数を競う事ではないのです。
犀の角のようにただ一人歩め(仏陀)。