<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-11 三法印を隠蔽する因縁法
三法印とは、身・心が無常・苦・無我であり続けている状態を指す。しかし、なぜ我々は、己自身の身・心において、三法印を体験することができないのであろうか?
それは三法印が、ある種の因と縁によって、隠蔽されてしまっているからなのである。
1)無常。無常という真相を隠蔽しているのは:
身・心は相続(=継続している)ものだと妄執する邪見。
身・心は迅速に生・滅している為、我々をして、身・心は継続しているという一種の錯覚を起させしめる。
しかし、実際は、身・心は、一刹那毎に不断に生じ、留まり、滅してるのである(=生・住・異滅)。
2)苦。苦という真相を隠蔽しているのは:
身体の姿勢に対して明確に察知していないが故に。
3)無我。身・心が無我であることを隠蔽しているのは:堅実、堅固。
我々は修行する時、如何にしてこの三種類の、事実・真相を隠蔽している因縁を「看破」するのか?
(1-73につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>