<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1)相続。身・心の生・滅は、かくの如く迅速なため、我々にはその生・滅の現象が見えない。故に、我々は身・心は連続しているのだと誤解してしまう。それはちょうど、銀幕上の映画の影像が、連続しているようにみえるものの、実は、静止した、動かない多数の写真によって構成されているのと同じなのである。
このような事から、身・心は、堅実で永恒のように見えるけれども、それは我々が、不断に生・滅する実相を見ることができないからである。我々は、この種の快速・迅速に(+刹那に)生・滅する現象を排除・否定する事はできない(というのも、それは事実であるから)。
修行者は、精進と覚照(=覚醒した心で対象を照らす事)をもって、実相般若を引発しなければならない。実相般若が生起すれば、生と滅の間の間隙を体験する事ができるからである。
実相般若は、身・心は相続しているものだという妄執を破り除く事ができ、また、無常の真相を隠蔽している錯覚を取り除くことができる。
(1-74につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>