南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」1-74

     <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

身体の無常は、思慧で体験・会得できる。

しかし、心の無常は、(+身体より)更に微細なため、体験・会得しにくい。

姿勢を変える時、例えば、座っている色身から、立っている色身に変る時、我々は座っている色身は無常である事を体験・会得する事ができる。

これがなぜ、鈍慧の修行者は、身念処を修行しなければならないか、という理由である。

2)姿勢を覚照しない。

身体における姿勢を覚照しないなら、我々は色身が苦である事を認識することができない。

苦とは、同じ状態を保てない事を言う。(これは実相である:自然なる真実の状態で、我々にはその真実を変える事はできない)。

姿勢を変える時、苦苦は、古い姿勢の中に早くから存在していているが、しかし「如理作意」に欠ける状態のまま、古い姿勢を観照する時、明覚は作用を引き起こす事ができず、苦苦もまた察知する事ができない。

(1-75につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>