南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」1-75

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

明覚(=明瞭な覚醒心)でもって、各種の姿勢を継続して観照する時、如理作意でもって煩悩を防止して、内心に好き、嫌い(+の感情)を生起せしめないようにしなければならない。

このようにして初めて、修行者は一種類づつの、前の姿勢の中の苦苦を見る事ができるようになる。

こうすることによって、新しい姿勢もまた、苦の真相を隠蔽する事ができなくなるのである。

例えば:

座っている色身が痛い時、もし「如理作意」がないならば、我々は、「我々が」苦なのであると思い、嫌悪の感受を生じせしめる。

そして、その後に、明覚でもって観照できないが故に、再び嫌悪の心を生じせしめるーー前の姿勢を好まない、という嫌悪を。

もし、修行者が自分で立ちたいと思って立つならば、新しい姿勢に貪愛の心を生じせしめる。

というのも、新しい姿勢は、前の姿勢の苦を隠蔽しているからで、その為、前の姿勢の中から苦苦を体得・会得する事ができないのである。

(以上は、なぜ身体の姿勢を覚照しないならば、苦を隠蔽する事になるのかという、一つの例を解説したものである。)

(1-76につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>