南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

是誰庵のひとやすみ~仏教徒は謙虚であれ

昨日のブログ「nimittaは万能か?」でも書きましたが、

仏教徒は特に謙虚でなければなりません。

修行が進んでいる人は、尚更に。

パオ・メソッドで修行が進んでいる人は、己の過去世が分かっています。過去には人であった事も、動物であった事もあるでしょう。地獄の住人であった事はありませんか?

過去世において、色々な有情を演じ続けて来たという事、それは他の人にも言える事で、この点(過去にお恥ずかしい歴史を持っている~笑)においては、有情は皆、平等なのです。

また、修行が進むと、己の刹那・刹那の感情の動きが、鮮明に見えてきます。

24時間、心が清らかで居続けるというのは、阿羅漢以外は、無理です。阿羅漢でなければ、時にはよい事を思い、時には悪い事を考えます。

仏陀の教え通り修行に勤しむ仏教徒なら、「これは私の感情」「これは私の思い」「これは私の考え」という風に執着することなく、己の思い、感情の生じては滅する様を、ただ見ている事ができるようになりますが、業に振り回されているという意味では、仏教徒もそうでない人々も、五十歩百歩です。

他者を憐憫こそすれ、馬鹿にしてはいけないのです。

他人を哂う者は、自分を哂っているのだという道理をよく理解して、仏教徒、否、仏教徒だからこそ、謙虚であるべきだと、私は思っています。

         <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>