「身念処」1-76(67/203)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
明覚(=明確な覚醒心)の作用が生起する時、前の姿勢の苦苦を、非常に容易に体験・体得する事ができる。
ただし、行苦(新しい姿勢に転換した後にも、まだ残る苦)は、非常に体験・会得しにくい――というのも、新しい姿勢は、通常、人をしてリラックスさせるからである。
もし、修行者が新しい姿勢の苦を体験・会得したいと思うならば、「如理作意」を保持しなければならない。というのも、通常、新しい姿勢に対して貪愛または好きという(+感情を)生じせしめるが故にーーそれは前の姿勢を嫌う事と、同じ事なのである。
貪愛は楽を好み、苦を好まない。
故に、貪愛を断じ除く唯一の方法は:
実相般若によって苦を体験・証悟する事である。そのような事から、仏陀は、苦の体験・証悟を足掛かりにして、貪愛の断じ除かれる智階を、描写したのである・
修行する時、四種類の苦を体験・体得しなければならない:
1、前の姿勢の苦苦の、察知と省察。
2、新しい姿勢に転換した時の、行苦の察知と省察。
3、苦相の察知と省察(すなわち、身・心の無常・苦・無我)。
第四番目の智ーー生滅随観智によって生・滅の現象を照見できた時にのみ、苦相を体験・体得することができる。
(1-77につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>