私が緬甸(ミャンマー)モン州の州都モーラミャインの
パオ僧院本山で修行したのは、1999年の頃でした。
ここでの修行に少々疲れを覚えた頃、人伝てに「中国語で vipassanaを教えて下さる尊者がいる」と聞きました。
私は中国語は得意ですが英語が苦手で、毎日のインタービューは、英語と中国語のバイリンガルであるマレーシア人の女性が、通訳を担当してくれていました(当時、インタビューは英語で行っていました)。
ただ、通訳を通すと、どうしても言いたい事の半分も伝わっていないようで、隔靴掻痒といいますか、当時の私は、結構ストレスを抱えていたのです。
そこで一気発念、この「中国語を話す尊者」に会いに行く事にしました。緬甸の東の端から、ヤンゴンを経由して、緬甸の西の端まで、またこの夜行バスによる旅行がすさまじいものでしたが~~バスは人を運ぶというより、鮮魚を運ぶために改造されたもので、座席の数より水槽の数の方が多かった~~何とか明け方、尊者のいらっしゃるお寺に、無事到着しました。
お寺に到着して、すぐに謎が解けました。
彼を慕って大勢の台湾人が、このお寺で修行していたのです。
彼は台湾人に vipassana を指導している内に、中国語を覚えてしまった、という訳です。
お寺は出来たばかりで、お堂と、いくつかのクティ~~
ただ四本柱を立てて、板切れを打ち付けただけの~~があるだけでした。食事もインディカ米のごはんは出ますが、おかずはほぼなくて、魚を発酵させて作ったガピだけで済ます事もありました(日本人が味噌だけでご飯を食べるような感じ)。
台湾人は台湾から食材を送って貰って、それを煮炊きしていたようです。
(国全体が貧しいのですから、贅沢は言えないですよね。)
そんなこんなで中国語の出来る難陀尊者は、乞われて台湾に教えに行くようになり、中国へも教えにいくようになり・・・。
二年前、台湾で彼に再会した時の第一声:
「ああ、君ね。15年ぶりだけど、覚えているよ。」
「私は、頑張っている生徒の事は忘れない」
「で、君、いつ死んでもいいように、準備は出来たかい?」
機会がありましたら、又お会いしたいと思っていますが、今度は、
「おや、君。まだ生きていたのかい?」
なんて言われそうですね(笑)
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>