私が台湾で若い仏教徒の女性から、パオ・セヤドーの著書『智慧之光』(中国語版)を貰ったのは、確か1998年頃の事だと思います。
最初のページを読んで衝撃を受けた私は、その本を日本に持って帰り、日本語に翻訳して、Web上に公開しました。
ただ、この本とは別に、日本ではすでにパオ・セヤドーの存在が知られていて、多くの日本の修行者が、モーラミャインやメミョウに出かけて、パオ僧院やその分院で、修行するようになりました。
そして、いつのまにかパオ僧院の修行者・・・いわゆる「パオ・メソッドを終えた人」が評価され、持ち上げられるような状況が、生じるようになりました。
しかし、パオ・セヤドーご自身は、
「私の教法に、卒業というのはない」
「阿羅漢になるまでは、パオ・メソッドを終わったと言うな」とおっしゃっています(パオ・セヤドーは、ご自分の教法をパオ・メソッドと呼ばれるのも嫌なのだそうですが・・・)。
真実、パオ・メソッドを終了して阿羅漢になった人は「私はどうだ、こうだ」と、己を持ち上げるような事は、最早、おっしゃらないでしょう。
<パオ・メソッドを一通り終えた人>と、
<パオ・メソッドを卒業して無学阿羅漢になった人>
というのは、全く違います。
パオ・セヤドーは「パオ・メソッドを一通り終えた人」と「パオ・メソッドを真実卒業した人」とを、厳密に区別されています。
修行者は心中有数・・・ご自分のどこが清らかになっていて、どこが清らかになるのを待たれているかを、ご自身が一番ご存知でしょう。
パオ僧院で修行した事のある方々は、「パオ・メソッドを終えた」と宣言する前に、阿羅漢になるまでは、<パオ・メソッドは終わらない>事を確認されては如何でしょうか?
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>