南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-3

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

「(+私は)三宝ーー最上の礼敬をされるべき者に礼敬しました。私は将に、以下の事を解説しますーーいくつかの諸々の小さい(聖典の)意味。諸々の小さい(聖典は)奥深く、ある種のものは、解説するのさえ、難しいものもある。

特に私のように、教法の中において、未だ覚悟(=覚醒)していない者にとっては。

しかしながら、今日に到るまで、(+私は)未だ(+私の)前を行く諸々の導師(注4)の判断を破壊した事はない。

そして、大師の九分教法(注5)は、同じく未だ保存されている。

その為、私は、大師の九分の教法に立脚して、また、古代の(諸々の導師方の)判断にしたがって、以下の解説をしたいと思う。

(+私がこのようにするのは)決して己を称賛したい為ではなく、また、他人を軽蔑したい訳でもなく、ただ、正法への諸々多くの尊敬によるものであって、故に、(+皆さまには)専心して傾聴して頂きたいと思うのである。

(注4)「導師(ācariya,阿闍梨)」ーーすなわち、老師、導師、教師の意味;ここでは、仏教における宗教師の事を指す。

(注5)「大師の九分教法(Navaṅgaṃ satthu sāsanaṃ)」とはーー世尊には三蔵の教法というものがあるが、三蔵によって分類する以外の、もう一つの分類の仕方、すなわち、世尊の一代における教法を九種類に分けたものがある。

それは:契経(suttaṃ)、応頌(geyyaṃ)、記説(veyyākaraṅaṃ、解説)、偈頌(gāthaā)、自説(udānaṃ)、如是語(itivuttakaṃ)、本生(jātakaṃ)、未曾有法(abbhutadhammaṃ)、智解(vedallaṃ、問答;論議)である。

《律蔵》の註釈書ーー《普端厳》では以下のように解説している:

「何を以て、分類(aṅga、支分)するか?(世尊一代の教法を)九種類に。

それは、一切(の教法)を:

契経、応頌、記説(解説)、偈頌、自説、如是語、本生、未曾有法、智解(問答;論議)の九種類に分けたものである。

その中で、(《律蔵》の)《両部分別》、《義釈》、(《律蔵》の)《犍度》、《付随》、《経集》の《吉祥経》、《宝経》、《Nālakasutta》、《迅速経(Tuvaṭakasutta;tuvaṭṭakasutta)》及びその他の、経の名前のついた所の如来語、これらを「契経」とする。

一切の、偈頌が付属する経は、「応頌」とする。

特に《相応(部)》の全体の《有偈品》は(+「応頌」とする。)

《アビダンマ蔵》の全部、無偈の経、およびその他、八分の教法に収められていない仏語は「記説(解説)」とする。

《法句(経)》、《長老偈》、《長老尼偈》、及び《集経》の中の、経の名の無いもので、純粋な偈頌のもは「偈頌」とする。

喜智偈頌に相応する82経は、「自説(経)」とする。

「此是世尊所説」から始まる形式のものが展開されたものは、112経を超えるが、これは「如是語」とする。

《無戯論本生経》等550の本生(物語)は、「本生」とする。

「比丘たちよ、これは阿難の四大不可思議、未曾有法」から始まり、展開される一切の不可思議、未曾有法に相応する諸々の経は、「未曾有法」とする。

《小智解経》、《大智解経》、《正見経》、《帝釈所問経》、《行分別経》、《大満月経》等、それぞれが、智と満足を得る為に質問した所の、一切の諸々の経は、「智解(問答)」とする。

(2-4につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「南伝仏教在家居士須知」改題「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律

ハンドブック」中国語版→日本語訳出翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>