「身念処」1-79
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
修行者は「如理作意」でもって、身と心を分けなければならない。
このような(+視点を持って)初めて、(+身と心が)一つの個体には見えなくなる、という訳である。
もし、「如理作意」がないのであれば、我々は、どれが身体で、どれが心であるか、分からなくなる。
その上、一種毎の色身は、皆異なっているのである:
座っている色身と立っている色身は異なるし、立っている色身は、歩いている色身とは異なっているなど等。
六組のvipassana慧地(基礎、原理)は、身と心を分離させる為の観照としては、非常に効果が高いものである。
それらは:
1、五蘊。
2、12処。
3、18界。
4、22根。
5、四聖諦。
6、12因縁(縁起)。
五蘊を例にして説明すると、我々は、身蘊が座っているのを知っている。そして、識蘊は(その他の三蘊ーー受、想、行を利用して)(注1)、身蘊が座っているのを知る。
このように実践する事によって、我々は、身と心を分離(識別)させる事ができるのである。
(注1)ここでいう受、想、行(通常言う所の蘊)の作用は、心所のようなもので、その後に識蘊として構成される。
(1-80につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>