南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」1-80

     <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

修行においては、堅実を(+虚構と)見破らなければならないが、そのためには、身・心を観照しなければならない(身・心の識別のために、特殊なチャレンジをする必要は無い)。

修行者は「座っている色身を知っている心」と「立っている色身を知っている心」は、それぞれ異なっているものである事を、理解しなければならない;

その上、座っている色身と、立っている色身も異なっているのである。

故に、普通の方式で修行しなければならないが、それは、堅実(+という誤解)が生みだす邪見が看破されるまで、実践されなければならないのである。

同じく、無常をば、相続していると誤解して、(+対象に)執着する事を看破する事や、身体の姿勢を観照して、苦を看破する事と同じように、堅実もまた身・心を観照する事を通して、<それ>は<それ>であると、知る事なのである。

堅実(+という誤解)から生じる邪見を破り除く事は、第一番目の階智を、証得したのだと言える。

それは名色分別智(すなわち、見清浄ーー清浄なる知見と内観)であって、もし第一番目の階智を証得していないのであれば、その後に控えるその他の階智を、成就する事は出来ない。

修行とは、三法印を隠蔽する所の因縁法を看破する事であり、すべての三法印を証得しなければならない、という事ではない。ただ、三法印の内のその中の一つの相を証得するだけでよいのである。

例えば、あなたが、無常を隠蔽する所の真相を看破したならば、あなたは、苦と無我を証得したのだと言えるのである。

(1-81につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>