仏教というのは難しい。
ゴータマ仏陀の悟りの内容自体が難しいし、2600年前のインドで語られた事柄故に、言葉(パーリ語)の解釈も難しい(パーリ語が死語である事も、ダンマの理解を妨げる)。
仏教で最も重要な「12縁起」も、私にとって、分かったような分からないような・・・特に、第一行目が分からない。
所がところが昨日、「身念処」<1-82>を翻訳していて、目から鱗!
無明縁行~~無明の縁によって<行>あり、の<行>は、行いによって、生まれる先が決まる・・・的な意味だったのですね。
<1-82>の(注1)を読むと分かるのですが、<行>とは、あなたの無明(=愚かさ)の度合いによって、善い行いの人は、善い所へ行く。悪い行いの人は、悪い所へ行く。不動行ができる人(四無色定のできる人)は、そのレベルの世界に行く・・・という意味合いですね(<明の人>は涅槃するので、それ以外の善い行いの人も、悪い人と同じく、無明を抱えている、というのがゴータマ仏陀の教え)。
<行>は、パーリ語に戻すと、サンカーラ(輪廻)とかチャラー(行く事、行為)と言われる単語ですが、仏教学者さん、翻訳者さんが一所懸命、言葉を置き換えてくれても、分からないで困ることは多々あります。
無明縁行。
これで一つ、腹落ちしました。
ホッ。
(追補:輪廻には二種類あります。一つは段生輪廻で、通常、我々が思っている所の、人間に生まれただの、餓鬼に生まれただのと言っている輪廻。もう一つは刹那輪廻。これは毎日の日常生活の中で、刹那・刹那に心が立ち上がって、変化して行くのを言う。タイのブッダダーサ尊者は、段生輪廻より刹那輪廻を重視した事で有名~~日本で、ブッダダーサ尊者は輪廻を否定したと誤解する人がいますが、彼は「日々の刹那輪廻から解脱するのが大事」と主張したのであって、段生輪廻自体を否定した訳ではない。
人は、一刹那毎に刹那輪廻している事が分からなければ、段生輪廻も分からない(刹那輪廻の先に段生輪廻がある)。12縁起は、刹那輪廻の展開説明でもあり、段生輪廻の説明でもある。