<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
そして、「諸々の小さな(聖典)」は、〈帰依〉、
〈学処〉、〈32行相〉、〈問童子文〉、《吉祥経》、
《宝経》、《牆外(経)》、《伏蔵(経)》、《慈経》という、九つの部分で構成された《小誦(Khuddakapāṭha》を初めとして、(このように)配列された(順序によって)また、諸々の導師がねん転として伝誦して来た方式[語道]を採用したのであり、これは仏陀が開示した(順序)とは異なるのである。
世尊が開示した所の:
「多くの生において、輪廻してきて、
流転のうちに探し求めた。
(私は)屋を造る者を見ないでいた間は、
再三再四、生まれるという苦を受けてきた。
おまえを見つけた、屋を造る者よ。
おまえはもはや、屋を造れない(造らない)。
おまえの一切の棟梁は壊れ、
屋根はすでに押し崩された;
私はすでに無為に到達し、
すでに諸々の愛(注10)を尽滅する事を、
証し終えた。」
この二首の偈頌は、すべての[一切の]仏語の中で、(世尊が)最も最初に(述べた)ものである;
しかし、この(二首の偈頌に関して、世尊は)ただ心の中で誦したのみであって、言葉で語ったわけではない。
しかし:
「熱誠静慮婆羅門(注11)、諸法が顕現する時、その一切の諸々の疑惑を滅し、彼はそれは因を有する法である事が知れる(注12)」
という、この首の偈頌はすなわち、(世尊が)最初に言葉に出した(仏語)である。
故に、私はこの「諸々の小さい(聖典)」から始まる、《小誦経》の九つの部分の意味を解説したいと思う。
(注10)Dhp.pp.43。
(注11)「婆羅門」。ここでは、「すでに諸悪を取り除いた漏尽者」と指す。すなわち、阿羅漢の事であり、ここでは特に、ゴータマ仏陀が、仏陀になったばかりの時の、自称の言葉である。
(注12)Vin,i,p,2.
(2-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「南伝仏教在家居士須知」改題「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律
ハンドブック」中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>