Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-7

     <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

そして、「諸々の小さな(聖典)」は、〈帰依〉、

〈学処〉、〈32行相〉、〈問童子文〉、《吉祥経》、

《宝経》、《牆外(経)》、《伏蔵(経)》、《慈経》という、九つの部分で構成された《小誦(Khuddakapāṭha》を初めとして、(このように)配列された(順序によって)また、諸々の導師がねん転として伝誦して来た方式[語道]を採用したのであり、これは仏陀が開示した(順序)とは異なるのである。

世尊が開示した所の:

「多くの生において、輪廻してきて、

流転のうちに探し求めた。

(私は)屋を造る者を見ないでいた間は、

再三再四、生まれるという苦を受けてきた。

おまえを見つけた、屋を造る者よ。

おまえはもはや、屋を造れない(造らない)。

おまえの一切の棟梁は壊れ、

屋根はすでに押し崩された;

私はすでに無為に到達し、

すでに諸々の愛(注10)を尽滅する事を、

証し終えた。」

この二首の偈頌は、すべての[一切の]仏語の中で、(世尊が)最も最初に(述べた)ものである;

しかし、この(二首の偈頌に関して、世尊は)ただ心の中で誦したのみであって、言葉で語ったわけではない。

しかし:

「熱誠静慮婆羅門(注11)、諸法が顕現する時、その一切の諸々の疑惑を滅し、彼はそれは因を有する法である事が知れる(注12)

という、この首の偈頌はすなわち、(世尊が)最初に言葉に出した(仏語)である。

故に、私はこの「諸々の小さい(聖典)」から始まる、《小誦経》の九つの部分の意味を解説したいと思う。

(注10)Dhp.pp.43。

(注11)「婆羅門」。ここでは、「すでに諸悪を取り除いた漏尽者」と指す。すなわち、阿羅漢の事であり、ここでは特に、ゴータマ仏陀が、仏陀になったばかりの時の、自称の言葉である。

(注12)Vin,i,p,2.

(2-8につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「南伝仏教在家居士須知」改題「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律

ハンドブック」中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>