<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ある時、アーナンダは、縁起の法がどれほど良いものであるか、どれほど理解し易いものであるか、仏陀に告げて言った時。
「並非如此(そうではない)」
仏陀は述べる:
「縁起の法は、玄妙であり、かつ、奥深く、理解するのが難しいものだ」。
もし、人が縁起の法を研究するならば、これを主題として論じられている専門書を一冊、探し出して来る必要があるに違いない。
そして、彼は、仏陀の奥深い智慧に対して、本を読み終わるまで、感嘆し続けるであろう。
縁起の法の利益とは、一つひとつの事柄は、皆因によって生じ、かつ無我で、霊魂(+がコントロールしているので)はなく、または上帝が(=最高神)コントロールしているのでもない事を顕示し、「私」という邪見(+の生じるの)を防止する事である。
(1-85につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>