南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」1-86

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

1-12-2 縁起の法における各方面からの分析

我々は、7つの角度から、縁起の法を研究する事ができる:

例えば、因と縁の鎖、幾世代において、幾重にも重なる因果等等。

ここでは、その中の何種類かを研究する:

1、三世20行相(図1-4省略)

a)この模式では、20の要点があり、5つが過去の因:無明、行、愛、取、有である。

b)5つの現在の果:(結成)識、名色、六入、触、受。

c)5つは現在の因:愛、取、有、無明、行。

d)5つは未来の果:(結成)識、名色、六入、触、受。

注:(図1-4省略)

a)5つの過去の因は、我々の現在の存在(有)を決定する。というのも、

我々は、出世間の智慧を体験・証悟していないが故に。

故に、無明は、すべての結果の根本原因である。

無明によって世間の生活を送る時、我々は善と悪の業をなすが、それを行という。

例えば、もし、我々が サマタを修して禅定を成就したとしても、我々は、なお、世間において、行を造作しているのである(すなわち、善業を為している)。行の結果は、愛を導き至る。

愛が、益々強くなる時、取に変る;

我々は、ある種の物を欲しいと思うのは愛であり、それを所有した時、愛は取に変る。

取は、有を導き至る。

有には二種類ある:

業有ーー有(生命)の活動過程(過去世)と生有ーー結生の過程。

業有は、善または悪で、未来の(+生活の)良しあしを決定する。

生有は、新しい生命が展開する所の命運(+または運命)の過程を指す。

生有の良しあしは、業有の善悪による。

有は、業を造している事自体を言う。

というのも、どのような形式の有であろうとも、我々は、生死輪廻の内にあるが故に。

実相の法則は、すなわち縁起の法であり、また、業を造す事とは、すなわち業報でもあるーーまた、どのような人であっても、この結果から逃げたり、結果を変えたりする事はできない。

これは最も公平な、法則なのである。

b)過去の因から、5つの現在の果が生まれる。

そして、現在の果は、その生命が形成される所の、特徴を有する:例えば、人には人の特徴がある事等など。

c)5つの現在の因。

五つ目の現在の果(受)は、一番目の現在の因(愛)を導き到る。愛がある故に取、有があり、その後に無明、行があるが、ここでいう有は、<後有>の事であり、新しい生命を決定する。

この有の為に、四聖諦を体験・証悟することなく、再び無明に到る。

無明は、また(善・悪)の業を造作し、再び、行へと変化していく。

この一組の行は、あなたが、善か悪かの行為を造作する時、行と呼ばれる。

この一組の有の意味は、業がすでに造作されたことを意味する。

d)5つの未来の果。行の縁によりて(+結生)識あり。

後ろの四個は、現在世の身・心で、その上にこの5つの未来の果を加えると、合計20個の因果関係がある事が分かる。

この20個の因果関係は、一つの輪のように、最初もなければ、終わりもない。

しかし、仏陀は、主要な因(根源的な因)は、無明であると看破した。

(訳者注:hatenablogでは、図が作成できませんので、図1-4、図1-5、図1-6 は、省略させて頂きました)

(1-87につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>