翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4-13)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
12、施主は、出家者に先に食事を始めてもらう。
施主は、出家者と同じテーブルについてはいけないし、出家者が食事をしている最中に、説法を要求してもならない。
静粛を保ち、出家者に安心して食事して頂く事。
13、出家者が、余っている食べ物を、在家に対して、食用してもよいと言うまで、施主は出家者の前に並んだ食べ物に手を触れてはならない。
というのも、在家が一たび、これを持ち去りたいという思いで食べ物に触るならば、出家者はこの食べ物を食する事ができなくなるからである(再度手で授与すれば、食べられる)。
ただし、なにがなんでも持ち去ろうという気持ちではなくて、ただ奉仕の気持ちで、出家者にご飯を足したり、おかずを足したりしたいだけであったならば、それは可能である。
ある種の伝統では、上記の場合、慎重を期して、食べ物をもう一度、手でもって授与するようにする事がある。
”一鉢食”を受持している出家者は、すべての食べ物を一つの鉢の中に入れてしまい、己自身は、鉢の中の食べ物しか食べず、鉢の外の食べ物は、施主の処理に任せる事がある。
出家者に供養した後、施主も食事を始めてもよい。
しかし、緬甸(ミャンマー)には一種の伝統があって、彼らは出家者が食事を済ませ後に初めて、自分の食事をするのを好む。
というのも、彼らは出家者が食事をしている、この機会を利用して、奉仕の行動を通して、功徳を積む事ができる(+と考える)からである。
彼らは、出家者の為に食べ物を運び、手を洗う水を用意し、ナプキンを渡し、必要があれば、彼らは出家者の為に団扇を扇いで、涼風を送る。
このような良き伝統は、己自身が更に多くの善業を積みたいと思う者にとっては、見倣ってもよいものである。
(4-14につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
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