南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

是誰庵のひとやすみ~悟った僧は・・・

世の中に、<悟った僧は、何をしても許される>という

一種の誤解が、広まっているようです。

これは特に密教で言われ、また大乗でも言われます。

密教の場合、20年前に事件を起こした、オ〇ム真理教の主張などがそうでしょう。

大乗(中国)では、悟った僧侶は酒を飲んでも、肉を食べても穢れない(中国大乗は菜食)といい、実際に信徒を前に、そのように振る舞う僧侶もいたようですが、近年、「それは行き過ぎだ」と、批判されるようになりました。

<悟った僧は、何をしても許される>とは、<悟った僧は、どのような場面においても、忍辱ができる>というダンマが、誤って伝えられたものではないでしょうか?

座禅・瞑想によって、ミクロのレベルでの五蘊は、自分のコントロールの下にない(諸法無我)と悟った僧は、ただ業の生・滅を観じているだけなので、動揺する事がない(業は自然現象であり、ゆえに業の生起するのを防ぐ事もできないし、滅するのを防ぐ事もできない。但し、己の行いによって、善業を増やし、悪業を減らす事はできる)。

悟った僧は、何をしても許される・・・のではなくて、悟った僧は、どのような場面においても心は開かれていて、問題が起きても責任転嫁する事なく、恐れも無く、怒りも無く・・・与えられた責務を果たし、常に微笑の中にいる。

悟った僧は、衆生の為に、戒と律の受持を真摯に実践されていながら、それが自然体に見えるのだと思います(悟ったからといって、誰も業から逃げる事はできない。過去に為した悪業があなたに戻ってきた時、悟った人間は、それを潔く受けとめる勇気がある、という事なのでしょう)。

     <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>