昨日、セーターが一枚、編み上がりました。
以前買っておいた柔らかいアルパカの糸、白黒二本取りで編んだのですが、関東にいる孫の為の、小さなセーターです。お雛様に向けて、つるし飾りを幾つか作って、一緒に送ってあげようと思います。
私には息子が二人います。
長男には「人生、困った時は瞑想しなさい」と伝えてあります。
今の所彼は、仕事と育児に忙しく、瞑想には余り熱心ではないようですが、人の生き方に口出ししないのをモットーとしている私、同じことを何度もいうのは、控えるようにしています。
次男はカメラマンで、よくインドに出かけ、佐々井秀嶺さんとは知り合い、というラッキー・ボーイ。私に言われなくとも、インドに行った時は、どこかの瞑想センターで瞑想しているようです。
先日、次男に「お母さんが死んだら、献体する事になっているので、後の事は大学に任せて。以前『遺骨は散骨を希望』と言ったけど、献体する大学には<合同慰霊塔>がある事が分かったので、遺骨は、そこに放り込んでもらって」と言いました。
次男「いや~~、そこまでせんでも。お兄ちゃんと相談して、散骨するから。おかあちゃんは以前『散骨希望』っていってたじゃん」
テラワーダでは、遺骨に何の意味も価値も見出さないので、私は<慰霊塔>放置でいいのです。
戒名も、生きている内に、五戒~8戒~10戒~227戒を受けた出家者が、戒師につけてもらう、僧院で使う<あだな>です。
死んだ後に、つけてもらうものではありませんし、ましてやお金(お布施)で買うものでもありません。
余り苦しまないように死んで、善趣に往生し、遺骨は捨ててもらう(散骨業者に頼むのではなくて)。
これがテラワーダ仏教徒である、私の希望です。
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>