「身念処」2-8
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
あなたは、自分自身に「誰が座っているのか?」等の問題を問う時、正念・正知(覚照力-注1)は向上して、あなたは「座っているのは色身である」と答える事ができるようになる。
精進、正念、正知の三者が統合されると、身覚(身体への鋭い覚知、すなわち覚照力)になる。
それらは、同じ所縁(身体または心)を有する為に、それらは同時に運用される。
正念は、姿勢ーーあなたが座っている所の、その様式を知り、正知は、座っているのは、座っている色身である事(あなたが座っているのではない)を知る。
しかし、運用の方式は、先に正念があり、後に正知があるというのではなく、それらは、同時に運用される。
注1:覚照力とは、成熟した心の上に加えられた煩悩(貪と瞋恚)を断つ智慧の事。
(2-9につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「身念処」vipassana アチャン・ネン著。
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>