南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「身念処」2-15(91/203)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

2-2-2 見解

1)《清浄道論》では、座る色身を観照する事に、熱心に精進するならば、修行者は、非常に早く智慧でもって、心を見ることができる、と述べている。

しかし、(+そのような成果を得るために)身・心を、同時に観照する必要は無い。

2)《清浄道論》はまた、身体の姿勢には、苦が隠されていると述べている。

というのも、我々は、姿勢の観照に注意を払わず、その為、新しい姿勢の中に、古い姿勢が残した所の苦に注意を払う事がない。

上記の事は、我々が通常、姿勢を転換する時に、如理作意を伴わない為であって、(+もし我々に如理作意があるならば)如理作意は我々をして、姿勢の転換は、苦を治する為である事を、知らせてくれる。(1-11節「三法印の因縁法の隠匿」を参照の事)。

こうした事から、我々は、座る色身等の姿勢の内に、苦を見る必要がある。我々は<今・ここ>に生きており、故に、苦を体験する時、貪と瞋恚も断じ除くことができる。

3)四つの姿勢を観照する以外に、修行者は、その他の事柄を為している時、たとえば、家事など等、その時もまた、如理作意でもって、これらの事(+修行)ができる。

これらの事柄は、ただ、苦を治するために行っているのだという事に気づき、観照しなければならない。

(2-16につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>