<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここに、一つの、よいアイデアがある。
修行者は、一日の時間を費やして、一日の内に、何度、またはどれほど多くの挙動・行動が、色身の苦を治する為であるかに、注意を払う。
その結果に関して、相当の人が、驚くと思われる。
一日の内に、修行者は、殺虫剤を噴射し、痒いところを掻き、扇風機をつけ、水を飲み、肌を這う蟻を追い払い、厠に行き、何かを食べ、食器を洗い、ごみを捨て、入浴し、鬚を剃り、歯を磨き、爪を切り、洗濯をする、などなど・・・。
これらすべては、身体の苦を治する為である。
何かの仕事をする時は、座る色身等の姿勢の観照を、してはならない。
座る色身等の姿勢は、四種類の姿勢の修行をする時にのみ、観照する。
臨時的な動作の色身を観照すると、非常に強い正念が生起し、正知が弱くなる。故に、臨時的な動作に関しては、(+その動作が)我々にとって、ただ苦を治する為であるという事が分かっていればよい。
微細な念住を修してはならない!
このようにすると、正念が強くなりすぎて、正知が弱くなるが故に。
(2-18につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>